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藤子・F・不二雄ミュージアム

行ってきました。

3週間ぐらい前にチケットを予約して14時の回に入場できた。小田急線の登戸駅からバスが出ているので迷わず到着。

ちょっと小雨が降っていたので空の色が悪かったけれど外で写真を撮れたのでよかった。

到着後、展示を見る前にカフェに行って予約をした。14時過ぎに予約して180 分待ちだったのでその間に展示をまわったりガチャポンをしたり写真を撮って過ごす。展示は1時間ぐらいじっくり見ていたと思う。

ドラえもんの大長編は映画でしか観たことがないけれど、結構な数を小さい頃の数年間に観てきたんだなと、生活の中にドラえもんが根付いてた気がする。どの映画が一番好きだったかなとずっと考えてみたけれど、なかなか決められない。アラビアンナイトは繰り返し見ていたけど、アニマルプラネットの食べ物が一番美味しそうだった記憶があったり、夢幻三剣士は一番ドキドキしていたし、海底鬼岩城は今一番観たくなっている。

共通しているのは人間以外の生物や物体と友達になったり協力して戦ったりする話なところだろうか。そもそも人間だけが出てくるっていう大長編は無かったかも。あっ、でも結婚前夜とかドラえもんが未来に帰っちゃう話も好きだ。

展示を観ていて、ドラえもん以外の作品も改めて気になった。特に短編が気になる。流血鬼とかタイムパトロールのお話とか読んだことがない物から、エスパー魔美などさわりの部分しか知らない作品も全部読んでみたい。

藤子先生自体はどんな人かあまりイメージできていなかったけれど、年表やインタビューの話し、残されている物や周りの人たちから人柄がなんとなく伝わってきて、天才と呼ぶような、比べものにならないくらいすごい人なんだけれど、ちゃんと人間らしいというか、同じ人間なんだなと感じた。もしも同じ時間と場所で生きていたら、きっと優しくていい人だって印象を受けていたと思う。

後世に物が残って次の世代に繋がるっていうのは、その物自体にも過去と現在のギャップを超えるパワーがあって、それを作った人自体にも魅力とか人を動かせるパワーがあるっていう両方が必要なんだと思う。

藤子先生のことや作品をもっと知りたくなったし、懐かしい気持ちを思い出したり、最高の時間だった。


ねがい星のオムライス


ジャイアンのカツ丼


海底鬼岩城で食べていたバーベキューっぽい物

6時

今朝寝ぼけていて見間違えたのか、夢だったのか、朝7時半過ぎに目が覚めてそのままうとうとしていたら目覚まし時計が鳴り、止めて時間を見たら6時過ぎだった。

まだ6時じゃん…と思いながらまた寝てハッとした瞬間にメトロから遅延のメールが届いて時間を確認すると8時過ぎだった。目覚ましはオフになっていて自分が止めたはず。

目覚ましは8時にセットしてあるので6時に鳴るはずがないと考えると、最初の、7時半過ぎに起きたというのは現実で、6時に起きたのは夢だったんだろうか。7時半と8時と8時20分に目覚ましをかけていて、7時半と8時20分はiPhone、8時は置き時計を使っている。

6時に止めたと思ったのは置き時計のアラーム音で、完全に目が覚めた8時過ぎの時点ではそのアラームが止められていた。いつもスヌーズしないように鳴った瞬間OFFにするのでその痕跡があった。7時半のはiPhoneを操作して止めてあったので鳴ってはいたらしい。

置き時計のアラームはいつ鳴ったんだろう。6時過ぎだ、まだ寝れる!と思ったのは現実っぽいようで、夢の中でもう一回寝てたんだろうか。

デザインあ展

今日は東京ミッドタウンでやっている「デザインあ展」に行って来た。12時半あたりに到着したら少し並んでいて、20分ぐらいで入場できて中へ。

概要もよく知らないままやってきたのだけれど、中に入ったら見るだけの展示じゃなくて、手を動かすことが多く楽しめた。テンションが上がりすぎて体力が尽きそうではあった。

子どもでも、日本語のわからない外国人でも楽しめるような内容でいいなと。


子供だったら走り回りたくなる所


折り紙で作ったうさぎと背景のマグロ


無性に箸置きが欲しくなる


まんじゅう猫であるが気に入っている


顔の大きさに合わせられなかった


たまご

寿司食べたい。

電波と顎

最近おもしろいことあった?って聞かれる時は、とくに面白くなくてもよくて、最近あった出来事を話せばいいということを社会人になって学んだ。
その瞬間はおもしろくても、後でその状況を説明するのが難しい。というか忘れてしまう。

1ヶ月に1回ぐらいはおもしろいことあった?ってわりと聞かれるので、そのための話のネタを常にストックしておくと良いと教わった。

そう考えていると、些細な出来事って意識しないとどんどん忘れていくなと。その時のピークが次の時点では他の記憶と同じぐらいのレベルに下がっている。何かの弾みで思い出すと、その時の感動の何割かをもう一回体験できる気がするので、思い出せるというのは得。

こうやってブログにしたためておくと、自力で頑張るより思い出せるので、もっと感動したり思った事を書いていければいいなと思う。

とりあえず最近のハイライトは、スカイツリーからの電波が微弱すぎてTOKYOMXが映らなくなり絶望していたけれど、室内アンテナとケーブルを良くしたら録画ができるレベルに回復したということ。あとカラオケに行ったら顎関節症が悪化したのかご飯食べる時に口が大きく開かなくなってしまったこと。大きく開いてるつもりなのに歯がしまわれてなくて食べ物がつっかえる…。炎症を抑えて、頬杖つくのを辞めて、歯医者に行こう。

書いていて、後から思い出しても特にプラスにならないことだよなと思った。

あっ、クロスゲームが面白い。すでに1巻で泣いた。

明るい

今でも親交がある、高校の同じ部活だった同級生が入籍したという報告を聞いた瞬間、パァッと世界が明るくなったような感じがした。幸せとか喜びとか平和とかポジティブな言葉を集めたような、世界が全部良い物で満ち溢れてるんじゃないかっていう感覚を味わった。

受験に合格した時とかバイトが決まった時とか就職が決まったときみたいな感覚に近い。これからの未来はきっと明るい気がする!と根拠はないけどフワッと気持ちが弾んできて、1年5年10年後の事を想像しては、こうなったらいいな楽しいなと妄想も入り混じって幸せな気持ちになる。

まずはどうやってお祝いをしようか考えたい。

ちはやふる

「ちはやふる」を毎週楽しみにしている。

競技かるたのルールがわかっているからというのもあるけれど、それ以上にストーリーが面白い。部活動とかスポーツって善も悪もなくてただお互いに競い合って勝ち負けを決めるもので、スポーツ観戦というと外から動きを眺めてハラハラしたり感動したりするのが実際の楽しみ方だと思う。

漫画やアニメだと、その選手が今どう思っているのかとか、何か理由とか原動力があることとか、内面を覗きつつ競技を見るのが楽しい。とくに「ちはやふる」では主人公側の学校だけではなく、対戦相手の選手にもスポットがあたっていてちゃんと背景が書かれているのが魅力的なんだと思う。途中で、どちらが勝っても納得できるような、対戦相手も負けたら悲しむんだろうなとかそういう思いにさせられる話ってスポーツ漫画の醍醐味なのかもしれない。

絶対に主人公側の選手全員が勝つわけでもなく、一人一人が理由があって負けて、それをちゃんと克服していこうとしたり他の選手の言葉で何か変わったり、主人公を引き立てるための配役じゃなくてちゃんと一人一人の高校生の部活動としての時間がそこにあるんだなと感じることができるのがちはやふるの魅力だなと思う。

そしてどんなに対戦相手の背景が説明されて負けられない理由を持っていたとしても、やっぱり主人公が押されていたのを巻き返してくる姿を見ると、ちゃんと嬉しくなってきたり興奮してきたりできるのが引き込まれるストーリーの作り方なんだなと思って観ている。

4月

もう4月。

ブログを毎日更新するぞと意気込んでいたのが去年の10月なので、もう半年経ってる。毎日書くネタも尽き、もはやとびとび更新。

街に新入社員がぐっと増えて、スーツ人口が増えた。スーツよりはギャルソンエプロンに心が踊るので、スーツを見てニッコリすることはあまりないのだけれど、それでもスーツでピシッ!とした人達を見ると身が引き締まる。

女性のタイトスカートは機動性が悪くて、座るか立つかしか考えられてないんじゃないだろうか。それでもタイトスカートで一生懸命走ってるOLを見ると、スポーツの応援のような、ファイトッ…!って気持ちになってくる。

大人が全速力で走ったり、転んだりする姿をなかなか見ないので、子供の運動会で父兄が参加する動画とか見たくなってきた。

これからも

今日久しぶりに、久しぶりでもない気がする、だいたいGWやお盆や年末に加えて何かと高校の同級生と会うのだけれど、高校卒業してからもうほぼ7年たってるんだねと話していて、感慨深いねってしみじみするかと思いきや、わりと一同苦笑いだった。7年て小1が中2になるから随分と長い時間のように思える。

出会ってからは10年の付き合いになる。あと5年たてば、人生の2分の1の年を知り合ってることになるのか。

毎回会うたびに、高校から変わってないよねって誰かが言い出すけれど、確かにこれといって変わったところが見当たらない。髪の毛が短くなったり長くなったり色が変わったりしてるけど、歳とったねって感じはしない。
これは、会う頻度が多すぎるから前回との差分を見て変わらないと言っているだけで、高校生の時のお互いの姿を見た後に現在の姿をまた見たら、確実に10年の老いを実感できると思う。

これからは顔の筋肉もつけていきたい。つややかな肌へ!

出てみた

先日決意したとおり土曜日に家を出てみた。

毎週土曜日はだいたい録り貯めたアニメを消化して過ごしていたのだけれど、今日もちゃんと数本消化してから、思いきって3時ぐらいに外に出た。

好きなイラストレーターさんの展示を見に行くっていうなんだか洒落てる目的で洒落てる街まで行った。
急行に乗る必要もないので各停でのんびりと行くのが楽しい。

ただ、いざ展示スペースに入ったら、そこの知り合いらしき人達が団体で入ってきて、スペースも狭いため身動きができず状態。話も盛り上がってきて完全にアウェイ感が漂ってきたのでなんだか悲しくなり撤退した。

半分くらいしか見れなかったし、ゆっくりできなかったし、でもそんなに見たいなら時間ずらしてまた行けばいいのにそうしなかった自分の本気度を思い知って、ああ…家に帰ろうと思った。家は最高…。だけどすぐに帰らず、違うルートで帰ったりちょっとコーヒー飲んで行ったら少し元気が出たので、元気よく本屋で立ち読みして帰った。本屋と電気屋は最高…。

明日は友達に会う予定があるので、きっと充実した日になるはず。

見ること

帰宅途中に、( ゚д゚)ハッ!外に出ないと…!って急に焦りだした。
知らないことも見たことがない物も多すぎる。

部屋の中は好きだけど、部屋の中にあるものしか見ることができない。
美しいと思った物をあげていこうと思っても、見たことが無いものはあげることも想像することもできない。
だから何か美しいものを作りたいと思ったとしても、自分の知ってる範囲の美しさでしか考えることができない。

自分の知らないこと見たことがない物って数えきれないぐらい存在しているけど、普通に生きていく間に見るもの出会うものは最低限の数であって、当たり前だけど見に行くっていう行動を取るか取らないかでその数は一気に増えていくんだなと。

デザイナーは「よく見ること」が大切だよと教わってきたけれど、私が見てきたものは物の写真だったり絵だったり映像だったりって立体を平面にした物がほとんどだったと思う。立体を平面にしたものを元に平面を作っていたのかと。
平面で表現されている元の立体、そのものを見ていない。
物の質感も、触った質感じゃなくて見た目だけで質感を理解したつもりになっているんじゃないだろうか。
触った質感を表現しようっていう、触覚を視覚にするようなアーティスティックな方向に行き過ぎる必要は無いけど、物が押されたらどうへこむのかとか、弾力や毛の寝具合を表現するには触ることも必要になりそう。

立体の本物っぽさだけを抽出して平面に落としこんでいくと大体、色・表面の凹凸・光・影・模様っていう目に見える部分に分けて見るようになっていって、立体がどんどん分解されていくような感じがする。
その分解されたパーツを組み合わせて立体を作ろうとした時に、平面では本物っぽさに近づけるのが限界で、元の立体の本物っぽさっていう形がわかってないと作れない。分解は簡単だけど再構築は元の形を知らないと難しい。

立体として存在できる純粋な要素だけを抜かすのが3次元を2次元にする方法だと思うけど、それその物はつまり写真で、絵画とかはそれに2次元でしかできない表現を加えて3次元に近づけるんだと思う。
学生の時、写真に撮った人を元に絵を描いても、出来たものは写真の絵でしかなくて、実際に人を見ながら描いた絵はその写真の絵と何が違かったんだろうか。よく美術の授業やデッサンでも「空間を描く」だとか「見えない奥側を描く」ってやるけど、見えないものを描くってどうやるんだろう。

物として3次元に存在していると思わせるのは、物と物の反射だったり近くと遠くの影の濃さや輪郭のぼやけ具合だったり目が勝手に補完している映像だったり、物単体ではなくて「そこにある物」の「そこ」っていう環境も関係しているんだと思う。前後左右から物の構造を見るっていう見方と、物がある風景を見て物の形を認識するっていう見方があるんだと思うけど、今までどっちの見方もあまりして来なかったなと思う。目に映った物を見たと思っている感じ。

もっと色んな物を見て触って知ってストックしておきたい。